ほんのおと。

本を読みます。

才能はどこに消えたのだろう?

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「あの人は<才能がある>」とか「これだけ頑張ってもうまく行かなかったんだから、私には<才能がない>のかも...」とか言うけれども、「才能」って人と比べて優れていることなんだろうか?

 

どこかのタイミングでは<才能がある>んじゃないかと思っていたけれども、だんだんと自身がなくなってきて<才能がない>のかもしれない...と、落ち込んだりすることもあるけれど、電気スタンドの電気をパチパチと切り替えるみたいに「才能」って現れたり、消えたりするものなんだろうか?

 

そんなことを疑問に感じてしまったの。

 

最初に、「才能」について考えるための例としてごく一般的な公立の小学校のことを考えてみたいと思うの。

 

今の小学校って何人ぐらいの生徒が通っているのかよくわからないのだけど、1学年4クラスぐらいで1クラスあたり30人ぐらいの生徒がいる学校のことを想像しながら話をしてみたい。

 

クラスの中のことを考えてみると、30人ぐらい生徒の中には「ひとと話をすることが上手な子」がいたり、「サッカーが上手な子」がいたり、「ピアノが上手な子」「ゲームが上手な子」「マンガに詳しい子」がいたりするよね。

 

「サッカーが上手な子」は、同じクラスの中にいる「サッカーに興味がない子」よりはサッカーが上手だし、「マンガが詳しい子」は「マンガを読まない子」よりもマンガに詳しいと思うの。

 

これって「才能」なんだろうか?

 

...いまクラスの中のことを考えてみたんだけど、少し世界を広げてみたいと思うの。

 

わたしは、サッカーのことは全然詳しくないんだけど、例に上げてみた「クラスの中でサッカーが上手な子」について考えてみたい。

(端々がおかしくても、サッカーが本質じゃないから大目に見てね。)

 

「クラスの中」で「サッカーが上手な子」は、サッカーが好きでもっと上手になりたいから、学校のサッカー部に入りたいって思うかもしれない。

そうしてサッカー部に入ったときに「クラスの中の」っていう言葉が「サッカー部の中の」って言葉に変わるのかもしれない。

 

サッカー部には、学校中の「サッカーに興味がある子」が集まっているんだと思うんだよね。

サッカー部の中には、「サッカーに興味がある子」が集まっていて、その中で上手な子とそうでもない子が生まれてくるのかもしれない。

サッカー部の中でも、<サッカーが上手な子>と<サッカーが下手な子>がでてくるの。

 

サッカーが上手な子は、「才能」があるんだろうか?

サッカーが下手な子は、「才能」がないんだろうか?

 

...もう少し世界を広げてみたいと思うの。

 

小学校のサッカー部の中には、「エース」って呼ばれる子が出てくると思うんだけど、多分その小学校の中で「サッカーが一番上手な子」だと思うんだよね。

その子の名前がミサキくんだとして、もしかしたら学校中の女の子から「ミサキくん、サッカー上手でカッコいい」とか言われちゃうかもしれない。

 

ミサキくんは、サッカーが大好きだし、他の子よりもサッカーが上手だから、もっとサッカーがうまくなりたくて、サッカーが強い中学校に進学して、サッカー部に入るかもしれない。

 

進学先の中学校はサッカー部に力を入れているので、近隣の小学校からサッカーの上手な子たちの憧れになっていて、「小学校のサッカー部で一番サッカーが上手な子」が集まってくるのかもしれない。

 

サッカーが上手な子たちが集まって、お互いにその技を磨き合うって良いよね。

どんどんサッカーが上手になっていきそうだよ。

 

この中学校のサッカー部に何人の部員がいるのかわからないけど、仮に40人ぐらいだったとしてみよう。

この40人の中で試合に出られる人って何人いるんだろ?

いまちょっとググってみたんだけど、高校サッカーの場合は、選手登録が25人らしいですね。あ、ベンチにはスタメン入れて20人しか入れないんですか。あとの5人はスタンドで待機なんですね。勉強になりました。

中学サッカーとは違うのかもしれないけど、仮にこの条件と同じだったとしてみよう。

 

このルールだと40人中25人は試合に出られる可能性があるけれども、残りの15人は試合に出られないんですね。

そこでわたしは思うのです、近隣の小学校の「エース」と呼ばれるような人たちが集まった、サッカー強豪中学のサッカー部員で、試合に出られる子と、出られない子がでてきちゃいました。

さて...

 

試合に出られる子は、「才能」があるんだろうか?

試合に出られない子は、「才能」がないのだろうか?

 

そろそろお腹いっぱいになってきた頃かもしれないけど、もう少し続けてみようと思うの。

 

中学校のサッカー部での活動を通して、努力の成果かもしれないし、チームメイトに恵まれたのかもしれないし、まぁよく頑張ったので、県大会で1位になったとしてみます。

 

県大会で1位ですよ!!

 

県内には「サッカーが好きな子」たちがいっぱいいて、その子たちからは憧れの的ですよ。

こりゃすごいわい、将来有望だわいってことで、高校サッカー編に当然のように続くわけですよ。

 

高校サッカー編では「目指せ!国立」とばかりに、県下の強豪校に各中学校のエースたちが集められてくるわけです。

もしかしたら、日本全国から有望な選手を集めてくるなんて学校もあるのかもしれません。

 

高校のサッカー強豪校って、何人ぐらいの部員がいるんですかね?50人ぐらいですか?あ、ぜんぜん少ないですか。じゃ、各学年30人ぐらいの生徒がいるとして90人ぐらいにしときますか。

 

日本全国、もしくは少なくとも近隣の都道府県から集められた「サッカーの上手な子」たちが集まって、その技をお互いに磨きあうわけですよ。

これは、もうすごいことですよ。

 

でも、先程の例にもれずに、選手登録が25人だとしたら、25人は試合に出られる可能性があって、残りの65人は試合にすら出られないわけです。

 

...少なくとも近隣の都道府県から集められた「サッカーの上手な子」たちが集まって、試合に出られる子と出られない子を決めるんですよね。

 

選ばれし選手登録枠に入ったから、「才能」があるんだろうか?

練習を頑張ったけれども選手登録枠に入れなかったから「才能」がないのだろうか?

 

わたしには、どんどん「才能」を煮詰めていく場ができていって、互いに振り落としをしているような気がしてしまうのです。

 

「才能がある人」たちを集めたはずなのに、その集団の中でいつの間にか<才能がある人><才能がない人>が生まれてしまっている。

 

「才能があった人」の才能はどこに消えてしまったのだろう?



さて、「目指せ!国立」の念願かなって、国立競技場のピッチに立ち、名だたる強豪校を倒して優勝しました。

 

これはもう、すごい「才能」だぜ!!

なんたって日本一だもの。

 

そうなると当然のように待っているのが、プロサッカー編なわけですよね。

プロサッカー選手って、なにせプロですから、サッカーが上手な人達が集まっているわけです。

当たり前なんだけれども、「目指せ!国立」で優勝したチームにいた人とか、惜しくも決勝で破れた人だとか、そういった人たちの集まりだとおもうんです。

 

日本一になったと思ったのも束の間、偉大なる先人たちと同じステージに上って数少ない選手登録枠を奪い合うんですよね。

 

Jリーグのピッチに立っている人たちって、それはもう「サッカーの才能」がある選ばれた人たちなのかもしれません。

 

...あれ?クラブチームって何人の選手がいるんですか?プロA契約(1チーム25人)、プロB契約(無制限)、プロC契約(無制限)、外国籍選手...

本当に知識がなくて申し訳ない限りで、なんでサッカーの話しちゃったのかな...とか、ちょっと後悔しているんですけど、たぶんプロA契約って人たちは公式試合に出る可能性がある人達で、プロB選手たちは控えの選手たちってイメージで良いんじゃなかろうか(間違えてたらごめんなさいね)

 

わたしが言いたいことは、

 

プロA契約の人たちは「才能」があるんだろうか?

プロB契約、プロC契約の人たちは「才能」がないのだろうか?

 

ということだ。

 

どのプロ選手も、世代別に見てみたら「目指せ!国立」として切磋琢磨していたチームメイトやライバルたちであり、全国から集められた「才能」だったんじゃないのか?

 

プロ入りして公式試合に出ることがなくクラブチームを去った選手、ケガで引退を余儀なくされた選手、そんな人たちは「才能」が無かったのだろうか?どこかのタイミングで消えてしまったのだろうか?

 

不幸にもケガに見舞われてしまって、夢半ばでプロ入りを諦めざるをえなかった選手は、ケガをしたタイミングでそれまではたしかに持っていた「才能」が消えてしまったのか?

 

わたしの「才能」は、いつどこに消えてしまったのだろう?