プルタブが憎い
わたしはプルタブが憎い。
何が憎いのかといえば、部屋の掃除をするたびにプルタブを集めている瓶が倒れて余計な手間がかかるからだ。
わたしの家には夜な夜なパートナーの人がビールを飲んではプルタブをためておくための瓶がある。
なんでもプルタブがドラム缶一杯に貯まるとどこかの慈善団体に車椅子が寄付されるのだそうだ。
どのような車椅子が寄付されるのかは知らない。
今、車椅子の値段を調べてみたら安いものだと2万円程度で買える値段のようだ。
我が家に置かれているプルタブをためておく瓶の容量は750mlの瓶だ。
コンビニで売られている某おしゃれ系コーヒーショップのコーヒーが入っていた瓶である。
そのプルタブがいっぱいになると車椅子がもらえるといわれているドラム缶の容量も、わたしは知らない。
ぐぐってみたら、一般的なドラム缶の容量は200リットルなんだそうだ。
200リットルといえば200,000mlだ。
大雑把に計算してしまえば、我が家のプルタブをためておく瓶の266杯分が入るということになるのだろう。
どうやら、我が家のプルタブの瓶は半年に一度ぐらい空になっているようだ。
頃合いを見計らってパートナーの人がどこか秘密結社のようなところに持ち込んでいるのだろう。
ひと瓶のプルタブを貯めるのに半年間掛かるとしたら、ドラム缶一杯のプルタブを貯めるのには133年掛かるではないかっ
その間わたしは、瓶を倒してプルタブを床にぶちまけては瓶に戻す作業を何度繰り返すのだろう…
月に1〜2回は倒している気がするのだ。
床にぶちまけられたプルタブを拾って瓶に戻す作業には、まったく生産性を感じられないので辛い。
1回の作業あたり3〜5分の復旧時間がかかっているのだろうか?
月に2回この作業があったとして1回あたり5分の作業として毎月10分。
これが、月に1回、それぞれが3分の作業とした場合でも毎月3分。
年間にスケールすれば、36〜120分程度はプルタブに向き合わなければいけないのだ。
東京都の最低賃金は1,013円だという。
それによるとわたしは年間で 607〜2,026円 の労働力をプルタブに支払っているといっても良さそうだ。
133年わたしがプルタブと向き合うのだとしたら 80,199 〜 269,458円 の労働力が必要になる。
安い車椅子だと2万円程度で買えるらしい、26万円の車椅子とはどんな車椅子なのだろう?
プルタブを集めるぐらいなら、もっと直接的な寄付をしたほうが効率が良いのではないか?
なぜ、時間を惜しむような生活をしつつも、プルタブを集めてしまうのだろうか?
そんなことを考えたときに、はっと気がついた事がある。
…もしかしたら金銭的な意味合いよりも、プルタブを瓶に1枚入れるたびに車椅子とそれを必要としている人のことを思う気持ちが大切なのかもしれない。
その気持を大切にしたいからこそ、毎晩晩酌をしながらプルタブを瓶に1枚ずつ入れているのかもしれない。
つまり、プルタブとは祈りなのだ。
それが祈りだと考えれば、わたしのプルタブに対する憎しみは減るのだろうか?
わたしは、床にちらばったプルタブを拾い集めることを祈りとすればよいのだろうか?
しかし、プルタブに対する憎しみが消えないのだ。
掃除をするたびにプルタブが床にぶちまけられなければ、その祈りを素直に見守ることができるのに、なんてわたしは心が狭いのだろう…
プルタブが床にぶちまけられることさえなければ…
...ここでわたしは、プルタブを拾い上げる手を止めた。
そうか、わたしは肝心なところで考え違いをしていたようだ
憎むべきはプルタブではない
本当の問題は...