「理想の女性像」は幻想なのか、文学・映画・漫画で考えてみた
『ピグマリオン』読了。
— こよみゆうか (@koyomi_yuuka) September 1, 2019
『せんせいのお人形』もしくは『バーナード嬢曰く』の元ネタなんじゃないか?と思い立ちまして、手にとりました
なるほど、教育と人の尊厳の話とでもいうのか、ロマンスに纏まらないところが良かったです
第五幕が圧巻!!
ピカリングの紳士っぷりに自分の生活を反省ですね pic.twitter.com/sC8aML7qu4
この本だけでもとても面白かったのですが、周辺環境も合わせて妄想していくともっと楽しいです。
わたし自身が咀嚼しきれていない部分も多いと思うのですが、どんなことを妄想していたのかを書き出してみようと思うのです。
このエントリーでは、『ピグマリオン』『マイ・フェア・レディ』『せんせいのお人形』『バーナード嬢曰く。』について触れています。
さて、このバーナード・ショーの『ピグマリオン』は、ギリシア神話のピュグマリオーンとガラテアの話が元ネタになっています。
ざっくりとピュグマリオーンとガラテアの話のあらすじを書くとこんな感じになります。
彫刻家(?)のピュグマリオーンが現実の女性に失望して、理想の女性ガラテアの彫刻を作ります。
裸のガラテアの彫刻の姿を見て、「ガラテアには服が必要なんじゃないか?」と考えたピュグマリオーンはガラテアの彫刻に服を彫り入れていいきます。
こうやって彫刻のガラテアに対して(理想の女性像としての)願望を彫り入れることを繰り返していくうちに、ピュグマリオーンはガラテアに恋に落ちてしまいます。
しかしガラテアは自分が作り出した彫刻、ピュグマリオーンは自分の恋が空虚なものであることを嘆き徐々に衰弱していきます。でも、ピュグマリオーンはガラテアの像から離れられないのです。
その姿をみたアフロディーテが、ガラテアに生命を与えてピュグマリオーンと結婚すことになります。
つまり、元ネタのギリシャ神話としては、理想の女性像としてのガラテアなのです。
これが、バーナード・ショーの 『ピグマリオン』では、全く別の解釈が与えられることになっているのです。
『ピグマリオン』は、戯曲(演劇の台本)で、1913年にウィーンで初演されました。
この演劇は、ロンドンの下町で花売り娘として生きるイライザが、音声学の天才である言語学者のヒギンズ教授から淑女としての立ち振舞の訓練を受けることになり、厳しい訓練の結果レディとして育っていくという話になります。
さて、最終幕となる第五幕では、ヒギンズ教授のもとを出ていくイライザのシーンで物語が終わることになるのですが、この最後のシーンの解釈を巡って読者の妄想が膨らんでいきます。
つまり、物語のその後として、「イライザはヒギンズのもとに戻ってきたのではないか?」「イライザはヒギンズの気を引こうと強い言葉でヒギンズに食ってかかったのではないか?」と。
これに対して、バーナード・ショー自身が「後日譚」を書き加えています。(本書にも載っています)
冒頭部分を引用してみます。
物語の続きは、わざわざ芝居にしてお見せするまでもないだろう。それどころか、もし我々の想像力が怠惰にも、ロマンスという店主が必ずしもあらゆる物語にフィットするわけではない「ハッピーエンド仕立て」の服ばかりを取り揃えている古着屋の安い吊るしに依存して枯渇しているのでなければ、本当は語る必要すらないのだ。
超要約すると、「おまいら勝手にロマンスだと解釈しちゃってるけど、全然間違えてるからなっ!!」って感じになると思うのです。
つまり、バーナード・ショーの『ピグマリオン』は、男性が「育ててあげる」「理想の女性像」の否定であり、女性(もしくは、人として)の尊厳について書かれていて、ギリシャ神話のピュグマリオーンとガラテアの別解釈になっていると思うのです。
さて、この『ピグマリオン』、1964年のアメリカミュージカル映画『マイ・フェア・レディ』として公開されます。
主演は、あのオードリー・ヘップバーン。
オードリー・ヘップバーン、むちゃくちゃ可愛いです。
1964年度アカデミー賞で最優秀賞を含む8部門を受賞するほどの人気作品だったようですね。
ヒギンズ教授が花売り娘のイライザに言葉遣いを教えて、誰もが目を引くレディに育て上げるという大筋はバーナード・ショーの『ピグマリオン』と同じです。
さて、この『マイ・フェア・レディ』の結論はどのようなものだったのか?
結論は、観ていただくほうが良いと思うのですが、全編としてロマンス仕立てになっているのですよね...
バーナード・ショーは、1950年に94歳で死んでいますから、『マイ・フェア・レディ』は観ていないわけです。
バーナード・ショーが『マイ・フェア・レディ』を観ていたらどう感じたのか?
わたしは、バーナード・ショーは「もう一度『後日譚』をもっと強い言葉に修正する必要がある」と感じるんじゃないか?と妄想しました。
映画は、バーナード・ショーの主張に反してロマンス色が強すぎたんじゃないかと思うのです。
でも、この映画を見た人たちは、オードリー・ヘップバーンの姿やヒギンズ教授とのロマンスに惹きつけられてしまうのです。
バーナード・ショーの語りたかった『ピグマリオン』は、女性の(もっと広く、人間のでも良さそうですが)教育と尊厳や、教育の機会が与えられた人とそうでない人の違いや階級批判だったんじゃないかと思うのですが、それをロマンスとして解釈してしまうところに、わたしは人間の面白さを感じてしまうのです。
なんといっても、ロマンスとして解釈するのはわかりやすいし、「物語」に触れている間は日常生活に感じているストレスから開放されて、「幸せなイメージ」に浸りたいのです。
...
...その「幸せなイメージ」って幸せなんでしょうかね?
さて、話が少し変わりまして、この『ピグマリオン』を元ネタとしている『せんせいのお人形』というマンガがあります。
『せんせいのお人形』(1)読了。
— こよみゆうか (@koyomi_yuuka) May 27, 2019
学ぶことの意味とか、教育とは?とか、考えさせられますね。
表紙とタイトルから受ける印象とは全く別の物語です。
スミカが一歩一歩歩んでいく姿に胸をうたれます。
二巻も、買う!! pic.twitter.com/18EH5f40ON
このマンガの超ざっくりとしたあらすじはこんな感じになります。
育児放棄されて、基本的な生活習慣すらままならなかった少女スミカが、高校で教師をしている遠縁の昭明に引き取られることになる。
昭明との生活を通して、学ぶことを知り、徐々に人間らしさを取り戻していく。
要するに、少女が学ぶことを通して自尊心を取り戻していくというのがメインストーリーなのですが、ここの第一章のラストシーンで、こんなシーンがあります。
主人公であるスミカが「愛」を語るのに対して、面接官の先生が「まるで「ピグマリオンとガラテア」ですね」と答えるのです。
バーナード・ショーの『ピグマリオン』を読み、ギリシャ神話の「ピグマリオンとガラテア」のことを妄想し、『マイ・フェア・レディ』と比較をしながら、物語の捉え方を妄想していたので、ここの言葉には(読んだ当初に)違和感を感じてしまったのです。
スミカは、学ぶことを通して自分を取り戻したんじゃなかったのか?理想の生徒としての「せんせいのお人形」だったのか?
わたしは、スミカ自身も心境の置所に戸惑いながらも成長している途中なのだ、と考えているところなのです。(そして、この解釈はまた変化すると思うの)
ギリシャ神話の「ピグマリオンとガラテア」を主題として、解釈が変化していく様子を妄想していくのはとても楽しいのです。
さて、バーナード・ショーを語るのなら、『バーナード嬢曰く。』もぜひ語っておきたいところです。
主人公の町田さわ子は、バーナード・ショーに影響されて「バーナード嬢」と名乗っている(でも、誰にも呼ばれていない)のですが、この理由を『ピグマリン』から妄想してしまうのです。
本編で、さわ子と『ピグマリオン』の関係は明らかにされているわけではないので、あくまでわたしの妄想なのですが、どこかで彼女が『ピグマリオン』のことを「学ぶ機会がなかった花売りの少女が、教育によって淑女になっていくサクセスストーリー」とでも聞いて、「本に興味があるけれども、(疲れるから)本は読みたくないわたし」のストーリーとして解釈したんじゃないのか?と、妄想してしまうのです。
『バーナード嬢曰く。』で、さわ子は序盤は全く本を読まないところが笑いどころになっているのですが、読書好きの友人達の影響を少しずつ受けて、知らずしらずのうちにかなりの本を読むことになっていきます。
(『マイ・フェア・レディ』的な解釈として)『ピグマリオン』を(さわ子が)想像し、連想ゲームの様にバーナード・ショーから「バーナード嬢」を名乗り、(でも『ピグマリオン』は読んでいないのだけれども)友人と図書館で話をすることを通じて、読書好きに変化していく(そして人間として成長していく)様を妄想してみると、グッとくるのです。
一冊の本を起点にして、世界がひろがっていく感じがしてとても楽しいのです
参考
『ピグマリオンとガラテア』
アイキャッチ画像は、メトロポリタン美術館所蔵のジャン=レオン・ジェロームの『ピグマリオンとガラテア』です。
『ピグマリオン(光文社古典新訳文庫)』(光文社(刊)、バーナード・ショウ(著)、小田島恒志(翻訳))
戯曲なので、台本のような形式で書かれています。
書式的に慣れないと読みづらい感じがしますが、内容も分量もそれほど多くないので、さっくり読めるんじゃないかと思います。
「後日譚」の部分は、絶望感があるかもしれません。
ゆっくりと噛み締めていくと、とても興味深いと感じました。
『マイ・フェア・レディ』(ジョージ・キューカー(監督)、オードリー・ヘップバーン(主演))
オードリー・ヘップバーンが主演というだけで、華やかなイメージがありますよね。
知的でもあるし、とても雰囲気があります。
素敵っ
『せんせいのお人形』(comico(刊)、藤のよう(著))
とても大好きなマンガです。
まだ読んでいないなら是非!!
『バーナード嬢曰く。』(一迅社(刊)、施川 ユウキ(著))
このマンガを読んでいると、読書ってもっと気楽に楽しんで良いんだって感じるのです。
さわ子たちと、図書館で語りたいっ!!